前回のエントリで、後半に何やら悲観っぽいこと(「代わりはいくらでもいる」など)を書いたが、別に、投げやりになっているのではなく、「よくよく考えると、事実は、どうもそうらしい」ということで、手抜きしているわけではないのだ(なにしろ、そうでないと「食いっぱぐれる」)。

何事も意味ゼロ発想を持っておくと、いろいろな場面で応用が効いて便利なのだ。ただし意味ゼロ発想を「なまけ」の言い訳に使うのは「誤用」であることも認識しておく必要があるのだが。