当ブログは2005年6月2日に開設されました。タイトルは実家で猫を32匹飼っていたことがあり,懐かしい光景が思い浮かんだのでつけました。内容はキラキラブログでも応援ブログでも情報ブログでもなく基本的には厭世ブログなので好みは分かれるかと。

2週連続で,ぐり〜んうぉ〜く多摩へ

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行ってきました(画像はマリオンクレープのクレープを食べながら見える光景)。

先週買った本棚が(・∀・)イイ!!物だったので,揃えるという意味でも早く買っておかねばという感じでした。

いや〜,本が(・∀・)イイ!!具合に収まり,見栄えも(・∀・)イイ!!ので,実に(・∀・)イイ!!ですね。

ウシジマくんvs.ホリエモン 人生はカネじゃない!
堀江 貴文
小学館
2016-09-03




bot系のもので,この本の引用がけっこうなされていたので,買ってみた。

ホリエモン本はけっこう読んでいるが,これもなかなか面白い。

てっきりコラボ本かと思いきや,ホリエモン単著のようだ。

ウシジマくんを時々引用するという感じだ。

しかし,いつかはウシジマくんを揃えたいものだ,中古本38巻セットは10000円くらいで手に入るのだが,また買っていない。

夏休みとかに読んでみようかな(第1巻は読んだことがあるが面白かった)。


医学的研究のデザイン 研究の質を高める疫学的アプローチ 第4版
メディカルサイエンスインターナショナル
2014-09-01

授業では英語文献を読んでいる感じだが,その参考書として勧められていたのがこれだ(第4版なので,定番だろうとは推測がつく)。

昨今のエビデンスベースト云々は元々はエビデンスベーストメディスンだったので,これがその分野の人気のある教科書なのだろう。

心理の本では取り上げられてはいるもののイマイチよく説明されていない印象があるコホート研究やランダム化比較試験が載っている(こちらは第3版なのでこちらも定番なのだろう)。
基礎から学ぶ楽しい疫学
中村 好一
医学書院
2012-12




これもお勧めしてあったので,余裕ができたら(いつになるのか)読んでみることにしよう。

私は心理の「残業」として,介入研究がまだ残っているのだ。

その研究デザインをこの辺りでもお勉強したいところだ。

下着なしの完全半袖で通学したが,水道橋駅から大学までの20分で汗が出てくる温度であった。

もうそんな季節になるんですねぇ・・・。

暑いの苦手なので,本郷三丁目駅コースに切り替える手もあるが,水道橋駅コースは通学途中が何だか都会チック(!?)で,歩くのもけっこう楽しく,なかなか捨てがたいところもある。

まあ,気分次第というところだろうか。

平成29年度 東京都公立学校スクールカウンセラーの募集案内にアクセスがけっこうあるようだ。

確かにそろそろその季節ではあるだろう。

だいたい6月のどこかの金曜日に発表になっている感じだろうか(書類提出は8月1日から8月31日の間がお約束)。

興味がある人は,毎週金曜日に東京都教育委員会のホームページを見てみると良いだろう。

私も10年ぶりくらいに「新人」として公募に参加し,たぶんこれまた10年ぶりくらいに都庁で面接を受けることになると思われる。

今年は,M1で色々読めない部分があったので,「一端」降りた感じだったのだ。


なるほど,上谷先生も本を出版されたみたいですね。

保健指導・・・。

なるほど,その分野はまだ「アドラー流」が出てなかった感じですね。

私も買って読んでみようと思います。

上谷先生といえば,アドラー心理学に基づく恋愛講座(結婚講座!?)を企画発案されていて,講座も完成していたような記憶があるのですが,あれも動き出しているみたいですね。

考えてみると,上谷先生はお医者さんなわけで,場所が場所なら我々心理職の「上司」にあたり,恐れ多い方なんですね(^_^;)。

なった。

研修講師である。

実は大学の非常勤を引き受けて3年やったのは,こういう稀にしかない研修講師の練習になると思ったからである(後はアンケート調査をやるときの「肩書」用だ)。

いかんせん研修は年に1回あるかないかなので,練習が難しい状況だったのだ。

大学の非常勤をやったおかげで3年間で90回は「人前で話す」ということができたので,これはこれで目標は達成できたかなと。

まあ,研修は大学と違って「私語対策」をしなくても良いのが,楽なところではあるのかもしれないが(私は3年間でとうとう「私語対策」で授業評価の大学平均を超えることができなかった)。

年度当初は,何やら昇進の季節でもあるのか,「うはははは」みたいに調子に乗ってしまう人が後を絶たないようだ。

長年生きてきた人なら解ると思うが,何かを達成したとして,何かがガラッと変わるということはないものだ。

もちろん,ガラッと変わったように感じる期間がある程度続く場合もあるだろうが,しばらくすると,それは当たり前となり,「うはははは」のテンションも下がってしまうことだろう。

全ては幻影と心得ておくことは備えとして良いものかと(「黒歴史」防止にもなるかと)。

カテゴリ:
これはそうかもなぁ。

オラってる輩というのは,たぶん,視野狭窄なのだと思われる。

これは幸せ幸せと連呼する輩もまたそうなのではないかと。

まあ,視野狭窄にしろ,自信・幸せと,ある意味で「才能」であるとは言えるが,あまりなりたい対象ではないな。

何だか迷いの季節に入っているような人を見かけることもある。

まあ,視野狭窄によるキラキラエントリだけをアップする人よりは人間味があって良いのだが,ご本人的にはツラいところだろう。

いったんこれと決めても,意味を感じなくなったり,飽きてきたりなどで,その流れに居づらくなってくるのだろう。

やむを得ないことだ。

どういう動きになっていくのか,見届けていきたいと思う。

これは・・・。

あの(1),(2),(3)領域のどれにでも換算できる便利な会が東京で開催ということですね。

子育て講座が京都だったので,さてどうしたものかと思っていましたが,待ったかいがありました。

定員1800名で,オーバーしたら抽選だそうです。

いや〜,去年,1年で14ポイント稼いだものの,まだ1領域が埋まってなかったので,とりあえず抽選に参戦してみようと思います。

さっそくハガキに記入ですね。

小中学生の15人に1人と言われる「発達障害」。これまで、主に社会性やコミュニケーションに問題がある障害として知られてきたが、最新の脳科学研究や当事者への聞き取りにより、生まれつき、独特の「世界の見え方・聞こえ方」をしているケースが多いことがわかってきた。多くの人にとっては何でもない日常空間が、耐えられないほどまぶしく見えたり、小さな物音が大音量に聞こえてパニックになったり。その独特の感覚・認知が、実は、社会不適応につながる原因のひとつになっていたのだ。
この世界を解き明かし、周囲が理解することで、発達障害の当事者の生きづらさは軽減。さらに「新たな能力」を引き出すことにもつながると、世界の教育・ビジネスの現場が注目している。
身体障害と違い、「見えにくい障害」と言われる発達障害。番組では、当事者の感覚・認知の世界を映像化。これまで誰にも言えなかった、わかってもらえなかった当事者の思いを生放送で発信する。周囲から「空気が読めない、つきあいづらい人」などと誤解されてきた行動の裏にある「本当の理由」を知ったとき、あなたの常識が大きく変わる。

NHKスペシャル

らしいのですが,これは私も見ないとですね。

録画しておけば教材になりそうなところは動画にできますね。

明日は学園祭ということで今日の午後は休講。

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普段にない感じとしては,花壇(!?)の周りにロープが張ってあるところだっただろうか。


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あのハッピを着ている人たちは,どうもスタッフらしい。


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これはステージの設営なのだろうか。


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個人的には,またもや生協でレモンケーキが売ってなかったことにショックだった。

これが「腹の底から」解れば,かなり自由度が高くなると思われる。

SNS等と見ていると,この辺の浸透具合に浅い深いの差が見て取れる。

やはり,何事も根源には「強欲」性が潜在しており,その解消具合の違いは修行の「成果」とも言えるのかもしれない。

追記
私もブログやSNS,本や論文を「発信」しているが,全て「誰も読まない」という前提で書かれている(万が一読んでもらえても0.1秒後には忘れられていると思っている)。

じゃあ,何でそするのかということだが,もちろん「自己顕示欲」もあるだろうが,ある意味で,プラモデルみたいなもので,作ることそれ自体が楽しいから,そうやっているのもあると思っている。

これぞ「ザク供

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う〜む,このカラーリング・・・。

ガンプラ HG 1/144 MS-06R-1A 高機動型ザクII (ガイア/マッシュ専用機) (機動戦士ガンダム THE ORIGIN)
バンダイ
2015-06-13





近頃はこんなカラーリングになっていて,確かにこれが正統派だとは思うのだが,私はハイコンプリートモデルを持っていた関係で画像にあるカラーリングがしっくりくるんだよなぁ・・・。
HCM ザクII
バンダイ






あ,って,ちょっとグレー度が違っていたかな(^_^;)。

今週末は学園祭があるみたい

学
良いですね,学園祭。

私はそういう「リア充」ではなかったので,学生のときは(正確には今もなのだが)ちょっとだけ行って帰ってくるのを1回やったくらいでしょうか。

今年はどうしましょう。

レジュメ作成の進行しだいかなぁ。

ということは行かなそうだ(^_^;)。

ぐり〜んうぉ〜く多摩@八王子市へ行ってきた。

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*マリオンクレープ(今日も食べた)を背にした眺め

本棚を買いにぐり〜んうぉ〜く多摩へ行ってきた。

無事,いい感じの本棚があって良かったなと。

本は増やさないようにしているのだが,なぜか溢れ出してしまうという不思議現象が続いている。

何か基準を設けないといけないのかもしれない。

なるものがあるようだ。

もちろん,私も立場上,それを他者に対して行うことはある。

がしかし,私自身がアンガーマネージメントをするかというとまったくない。

そもそもアンガー自体がないからだ。

なにゆえ人はああまで怒っているのだろうか。

不思議としが言い様がない。

まあ,ある意味では,それだけ色んなものにコミットメントしているということではあるだろう。

私は色々「どうでもいい」とコミットメントしていないので怒りが出てこないものと思われる。

いつものように両面だ。

思っている(既に完成はしていて後は送信するだけ状態)。

あいかわらずのレジュメ作成な日々が続いているが,それが一段落する時期でもあるからだ。

とはいえ,レジュメ発表懸念(!?)から完全に解放されるのは,8月・9月の夏休みになるとは思うのだが。

なった。

どうもこの活用方法が一番楽なような気がする。

「いいね」を押すと,押したことが他にも「ばれる」ので,
「俺のに押していないとはどういうことだ現象」(!?)が起こる可能性があり,
それを避けるには,初めから「ROM専」でいれば安泰というわけだ。

で,おそらくTLに登場しないということは,ある意味で「死」なので,
そのうち忘れられると思われるため,完全にステルス化できることだろう。

(・∀・)イイ!!方法であった。

橋口 誠志郎 先生

お世話になっております。
日本応用心理学会機関誌編集事務局でございます。

“応用心理学研究”にご投稿の貴論文[短報16086]につきまして,
5月15日に受理(到着)いたしましたこと、お知らせいたします。

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雑誌名  : 応用心理学研究
論文番号: 短報16086

著 者:*橋口 誠志郎
表 題: 1項目版共同体感覚尺度の作成
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掲載が近くなりましたら、メールにて著者校正をお願い
いたしますので、その際は、どうぞよろしくお願いいたします。

高幡図書館へ行ってきた。

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何だか久しぶりに高幡図書館へ行ってきた。

中の風景もこんな感じで昔と変わっていないような。

ちなみに,私は本は借りる方ではなくて買う方なので,図書館で本を借りたことはなく,大学でも大学院でも借りたのは0冊である。

あ,明日は,ぐり〜んうぉ〜く多摩に本棚を買いに行かないとである。

また,本が入らなくなってしまい,溢れ始めたので。

しかし,まあ,前期はレジュメの発表が5回あるのだが,その内の3本が英語の本(日本語訳なし)を読んでまとめるので,その時間のかかり具合や半端ない状況である。

1章を何人かで分担してやるのだが,皆さんギリギリでも大丈夫なようで,短期間で仕上げてくる力をお持ちのようだ。

私も便乗して(!?)余裕だと思っていた,まったくそんなことがなかったので,今になって「課題に追われて」疲れまくっている感じになっている。

ふう。

もっと英語をきちんとやっておけばよかったかな(英文科卒談)。

仕事柄,書類にしろ記録にしろ,全てボールペンで書いている。

なので大学院の授業で出席票みたいなものにコメントや感想を書く必要があるが,そこにも当然のようにボールペンで書いていた。

が,学生たちと見てみると(まあ,そこでは私も学生なのだが),シャープペンシルを使っている。

あ,そういえばこんなときはそうだったな,と「思い出した」感じだった。

よくよく考えてみると,シャープペンシルなんて,入試のときくらいしか使う機会はない私であった。

カテゴリ:
自分から見た自分の重要性は大きいのはまあ当然ではあるだろう。

近しい人から見た自分の重要性もまあ,ほどほどの大きさはあるだろう。

ただそれ以外の人たちからみた自分の重要性はどうだろうか。

たぶんゼロに近いものとなるだろう(死んでも何の問題もないレベルだろう)。

このゼロを意識できるかどうかが,客観性を備えられるかどうかの分かれ目のような気がしている。

ここが意識できないと,色んな不満が出て来るのではと。



を兇塙腓錣擦1年書けて読んでいこうゼミだったので,私も参加している(著者は外的妥当性とか準実験法とかを提唱した人みたいだ)。

まだ日本語訳になっていない本だか,色んな研究デザイン(フィールド調査用の実験法と準実験法)が出て来る本でとても(・∀・)イイ!!感じだ。

担当になった人がレジュメを作り,南風原先生が解説を行うという形式だ。

これは出る機会に恵まれて良かったなと。

投稿論文もそうだが,いくら自分が100%だと思っても,相手からすると70%くらいの出来でしかないことが多々ある(もちろん逆もある)。

ということは,ほどほどで出し,評価者の意見を採り入れて修正をするサイクルに早く入るのが良いことになる。

ただ相手の意向(評価ポイント)を事前に知ることはなかなか難しいのもある(ほぼ不可能かも)。

以前,博士課程に行こうと企んでいた時期があったのだが,指導教員候補の人から口頭ではそういう感じで良いと言われていた。

それも合わせ,私は「たぶんシンプルな計画の方が良いのではないか」と予想し,そういう内容で計画書を書いて願書を提出したが,願書提出後に「まずメールで見せて欲しい」旨の御達しがあり,そこでメールしたら,これではダメだとなり,願書取り下げとなった。

つまり,私の予想は外れていたということだ(見本で送られてきたものはシンプルとは程遠いものだった)。

まあ,事前に見せる必要があったことを知らなかった私のミスでもあるが,今回の話の要点はそこにはなく,相手に見せて相手の意見を採り入れて修正をするというサイクルに入っていない状態の一例として取り上げてみた。

そう,相手ではないので,自分では判らないのだ。

ということは,自分で最大の努力をしても(相手に合わせたつもりでも),相手の基準から的外れであれば0点ということがあり得るということだ。

投稿論文が完成したので,ふと想い出し書いてみた。

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