う〜ん,これはこれでありなのではないか。

蘭子さんのキャラ設定が問題視されているみたいだけど,ある意味では,確かにアドラー心理学の延長線上には,可能性としては有り得るキャラのような気もするけどなぁ。

あと「課題の分離」の回だったみたいだけど,解釈や設定も別に間違っているわけではないと思うなぁ。

まあ,他の回を視ていないので,何とも言えないですが,これ以降の回も引き続き視て行くことにしましょう。

関係ないけど,蘭子さんは(・∀・)イイ!!ですね。

「男前女子」は個人的に大好きなので(「お仕事頑張って!」「お疲れ様!」みたいに主「夫」をやってあげたくなってしまいます)。

諸事情あって,なかなかペースが戻らずにいた。

が,しかし,特定章の執筆がほぼほぼ終わり,ようやく「正常運転」に戻ることができる状態に。

何が起こるかわからないのが人生。

ハプニングが起こった時に,どうやってノルマやペースを崩さずにいられるかは今後の課題といったところでしょう。

気がかりがあっても,どうタスクを処理するかということは,マルチタスクの問題なのかなぁ。

でも,マルチタスクは凹みは考慮してない概念っぽいしなぁ。

対策は・・・。

まだ思いつかない(^_^;)。

のインプレッションがけっこう多い感じだ。

しかし,まだ完結していないらしいので判断は難しいような気もするが(^_^;)。

あ,この件に関しては,私は番組自体を視ていないのでコメントできる立場ではなかったのであった。

でだいたいの料理の味付けはできてしまうような気がする。

醤油・味醂・酒は私はいつものトリオと呼んでいるのだが,その活躍の範囲は広い。

よくよく考えてみると,私は「料理男子(おじさん)」でもあったりするのではないか。

独り暮らしが長いせいか,掃除・洗濯もある程度はこなせるので,主「夫」になれるかな(^_^;)。

だ。

つまりは27日間あることになる。

私の仕事は春休み・夏休み・冬休みとあるのが良い。

長期休暇中は,本を読んだり,何か書いたりしてインドア派を満喫する感じだろうか。

あ,そういえば今度の春休みは,熊本に帰らないので,ちょっと残念ではある。

帰省予算は来年度に繰越ですね。

土曜日ということでお休みとなります。

とはいえ祝日みたいですね。

今日は特定章の手直しをしつつその完成を目指そうかと。

メインは引用文献の入力になりそうですが。

ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論 平成29年: 増補改訂版
小林 よしのり
小学館
2017-02-27




あ,これが月末に出るみたいですね。

楽しみです。

もある。

よくこの世に生きた痕跡を云々ということで作品とか子孫とかが挙げられることがある。

ただ問題は最終的には地球が消滅して,それらも同時に消滅するということだ。

言ってみれば,あらゆるものが,水たまりに発生したボウフラみたいなもので,余命幾ばくもないというイメージだろうか。

となると,まさに意味ゼロの地平線が無限に続くことになる。

では,どれが確実なのかということだが,「いい感じだったな」とか「楽しかったな」とかくらいなのではないかと最近は考えている。

もちろん,それらも刹那ではあるのだが。

有限の経験から固定化された自己概念と世界像を導き出す


これは確かにそうかもなぁ。

40歳を過ぎると,自己概念も世界像も固定化されてしまう。

まあ,それで「食って行けている」わけだから,それはそれで必然なんだろう。

しかし,確かにその自己概念や世界像は,有限の経験から出てきているもので,それが正解とは限らない。

また固定化された自己概念と世界像の通りに考え行動していれば,結果の予測もつき安心だろう。

違う考えや行動をすれば不安になるのは,結果が予想できないからだろう。

もちろん,それで「食って行けている」のではあれば,それはそれで安定し幸せ幸せでもあるのだろう。

ただ唯一の欠点が,例の「退屈」に見舞われる可能性だ。

「退屈」を感じないで済むのなら,固定化されたもので問題ないだろう。

「退屈」を感じるのであれば,確かに自己概念や世界像とは違った考えや行動を取るしかなさそうだ。

当然,結果の予測ができないので,不安はつきまとうことになるのだろうが,それはセットでもあるだろうからやむなしだろう。

ややこしいところだ。

をやはり考えてしまう。

何回か書いたが40歳を過ぎれば「いつ死んでも(不治の病に罹っても)おかしくない」状態になっているといえよう。 

となると,事故で死ぬ間際になっても,また不治の病が宣告されても,「ああ,それはそれでやむなしだな」と達観できる状態にしておく必要がある。

となれば,やはり悔いを残さないよう,納得感を最大にできるよう,選択を続けていくしかないということだ。

大学院の授業料免除系の書類がアップされた模様

カテゴリ:
入学
jyugyou
とまあ,なぜかこの時期にお出ましのようだ(ここ)。

筑波大学のときは(授業料半額免除は)通過したので,国立共通なら今回も通過することだろう。

入学金免除はどうだろう。

例によってほんとうは誰にでも可レベルの基準なのだが,そう書くとまずいので,とりあえず書いてあるという事情がある可能性を考慮して,とりあえず出してはみるかな。

何事も1回目というのは感動するもののようだ。

例えば,私は心理学で論文を書くのが夢の1つであった。

確かに1本目が掲載されたときは,めちゃくちゃ嬉しかったのを覚えている。

が,しかし,2本目以降は,感動というのはそこまでなく,ただ作業をしただけという感じだ。

ましてや3本目以降をやである(何で2本目以降を書いたのかというと当時は博士号取得を目論んでいたからである。本来は1本で十分満足だったのだ)。

万事この調子だ。

1回目は良い,確かに。

ただ2回目以降は,作業になってしまうし,感動とかもない。

「慣れ」なんだろうなぁ。

ということは対象を変えるしか,また「感動」を呼び覚ます手段はないことになる。

新領域に進出したので,またしばらくは楽しめそうだが,そこでもし1本何か書けたら,満足してもうそこで終了なような気がしてならない。

ただ同じ分野で何本も書ける人もいるので,人それぞれなのだろう。

いやはやである。

金曜日ということでお休みとなります。

メインは東京薬科大学にブラックモンブランを買いに行くかどうかですね。

ただスシローとの兼ね合いがあり,アイスということでタイミングの問題もあります。

さてさてです。

今日は朝から雪だったなぁ。

こうなると冬っていう感じなんだけど,帰りのバス停では春を感じるという何とも矛盾した状態だ。

3月中旬くらいまで,またちょくちょく雪が降るんだろうな。

交通機関の乱れがあると,朝からややこしいので,できればその辺に影響がないくらいが良いのだが,自然相手だとそうもいかないだろう。

木曜日ということで,東京都町田市にて勤務となります。

最寄り駅は京王線めじろ台駅です。

3連勤ラスト日でもあるので,帰りは
ロッテ クランキー 1枚×10個
ロッテ



を買って食べないとですね。

こないだ木曜日だったような気もあり,もう1週間経ったのかという感じです。

早いものです。

18歳からの「大人の学び」基礎講座: 学ぶ,書く,リサーチする,生きる
向後 千春
北大路書房
2016-10-13




向後先生のこの本は読んでいないが,元本は読んだことがある。

内容とは違ってくるのだが,「大人の学び」は時々考えることでもある。

おそらく仕事に就きたてのころはいっぱいいっぱいで,なかなかそういう余裕もないだろう。

ただ数年もすれば慣れてくる人が多いのではないだろうか。

そういうころになると帰宅後は,LINEやSNS,テレビやネット,または飲み会とかになるパターンが多いようだ。

ただ,それでは暇を持て余す人や虚しさを感じる人もいるようで,そういう人こそ「大人の学び」を起動させると良いのではないか。

どちらが良い悪いではなく,要するに「楽しむ」パターンに「大人の学び」も候補として持っていれば暇になったときにけっこう役に立つような気がしている。

えっ!?なんですって!?出世が大事だから暇なんてない!?

確かにそれはそれで「楽しむ」でしょうから,良いのではないだろうか(^_^;)。

水曜日ということで,東京都国分寺市にて勤務となります。

最寄り駅は国立駅です。

帰りは
テレビじゃ言えない (小学館新書)
ビートたけし
小学館
2017-02-01

を買ってこようかと。

考えてみるとたけし本もほぼ全巻読破だったりしますね。

愚痴・・・。

難しいところですね。

私が愚痴り易いのは,新たな職種に就いた1年目とかですかねぇ(^_^;)。

2年目くらいからは愚痴なくなりますね。

ただ確かに愚痴ったときには,共感的に聴いてくれる人もいれば,解決策を考えてくれる人,そんなの言い訳だと叱ってくれる人,の3タイプがいたような。

私への対応の場合は基本どれでも良いようで,要は話せれば良いみたいです。

カテゴリ:
というのを時々考えるときがある。

そもそも向上心があると,現状は「足りない」わけで,本当の意味での自己受容は無理だろう。

では自己受容をすると,それで良いのかというと,その状態は正確には向上心がない状態とも言えるわけだ。

よく自己受容とか自尊心は年齢が上がるにつれて高くなることが示されているが,では向上心はどうなんだろう。

予想では向上心は年齢が上がるにつれて低くなっていくのではあるまいか。

まあ,別に向上心がなくても幸せ幸せだから良いじゃないかという話ではあるのだが,個人的にはどちらが良いのか判断がつきにくい感じである。

この辺も老後に答えが出るのかも。

火曜日ということで,神奈川県厚木市にて勤務となります。

今年度もこのサイクルは残り6週です。

丁寧に行きたいところです。

今日は特に何もせず,ぼ〜っとしたり,ゴロゴロしたりして過ごす日にしてみました。

やっぱ,こういうの良いですね。

上記の言葉の意味とは違っているとは思いますが,心が養われた感じがします。

現代はネットがあるということで,ついついネットしたり,スマホしたりしてしまうのが,常の時代かもしれず,そういう時代では,なかなかこういうことができにくいようにも思います。

これを機に今後のSNSとかとの付き合い方も考えたいと思いました。 

ちょうど10年勤めた職を離れることになるということで,10年か,と暇にかまけてツラツラと考えてしまった。

特定章の執筆を皮切りに,自主シンポに出たり,論文書いたり,発表したり,大学院に行ったり(中退したけど),と「外面」はけっこう活動的な感じでアウトプットもしてきた感じだったようだ(これらは「自己顕示欲」の発動でもあり,あまり良い事態ではないということは自覚している)。

ただこれらは,別に苦手なことにチャレンジするみたいな感じではなく,(特に後半は)「脱力」状態でもできた言わば,そこまで勇気を要しないことばかりであったような気がする。

たぶん,(特に後半は)その前の余力というか「貯金」でやってきたので,そうだったのだろうと思う。

何が言いたいのかというと,一方で,「内面」は10年前とさほど変わっていない可能性があり,その意味では,ほとんど「成長」していないとみなすことも可能だということだ。

となると,春休み辺りに,その辺をツラツラと自省して,もう一度,苦手なこと(勇気が要ること)をリストアップし,また「成長したな感」を感じられるような機会を作り出したいところだ(もちろん,疲れるだろうけど)。

月曜日ということでお休みです。

3日連続で働き,4日連続で休むという今のパターンはなかなか良いですね。

とりあえず凹みからも復帰し特定章の執筆も一段落ということで,ようやく通常モードになった感じでしょうか。

特定章の原稿の提出は20日(月)に設定し(締切は28日(火))そこに向けて微調整を繰り返して行くとしましょう。

という問題があるようだ。

思うに究極的には,かつてのアドラー研究所を「終了」した者と,アドラースクールで博士号を「取得」した者ということになるのではあるまいか。

アドラー研究所で研究生をやったとか,アドラースクールで研究生をやったとか修士号を取ったとかでは,若干,不足気味なのではないか。

まあ,私はそういったものさえもないので,到底「正しい」とはいえないレベルにあることになるのだが(^_^;)。

なお,この定義を採用すると,日本には「正しい」アドラー心理学は存在しないということになり,議論そのものが空転する事態となるところがミソである。

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ここまで生きてきてみると,単純に「勝ち組」「負け組」とはいかないような気がしてならない。

みんなそれぞれに頑張っているというところではないか(この視点からは「頑張り組」があるだけとなる)。

「外見」「能力」「性格」のカードがそれぞれに異なった数字で配らてて人生がスタートし,「運」がそのカードの勝負どころを左右する。

ていうか,そもそも最初のカード「外見」「能力」「性格」自体が「運」という何とも皮肉な状態ではある。

ただ紆余曲折を経ても,それぞれが手持ちのカードで頑張っているのだろう。

またうまくできたもので,そうとう不利なカードだったとしても,普通に暮らせるようなシステムを人間は構築はしてきたみたいだ。

いわんや並のカードをや,というところだろう。

私もどれも中途半端な感じだなぁ。

理系コース→英文科→臨床心理学→哲学,と専攻は変遷してきた。

臨床心理学に至っては,臨床家のみならず,統計法を使った論文も書いたりしてきた。

しかも,どれも「一流」ではない(^_^;)。

確かにこの組み合わせがオリジナルといえばオリジナルと言えなくもないが,今のところ何か複合的な効果が得られているわけではない。

まあ,楽しかったから良しとしましょう。

平成29年度前期分授業料免除及び授業料徴収猶予についてが出てました。

今月10日から書類がDL可能となるみたいなのですが,いろんなものは直接取りに行く必要がありそうですね。

しかも入学手続き期間内(3月1日〜3月7日)に出せみたいな感じでしょうか。 

まあ,詳細は10日のものを見ないと判らないですが,ほんとうにこういうスケジュールだとすると,ちょっと短すぎなような・・・。 

28万円ゲットのためには頑張らないと(!?)ですね。 

カテゴリ:
という発想を持っている人がときどきいる。

これはなるほどなと。

確かに生まれる前は自分は存在せず,死んだあとも自分は存在しない,という意味からもそうであるし,そもそも生まれたときは何も持っていない,という意味でもゼロである。

となると,失う恐怖(身近なところでは「お金」,究極は「命」になると思うが)を克服する一つの考え方にはなりかと思われる。

しかし,完全にはそう思えないところもあり,老後にそう思えるようになることに期待というところだろうか。

している。

私は別にハイスペックなパソコンは欲しいとは思わない派である。

今使っているパソコンは58000円のパソコンだ。

ただ希望としては,モニターが23インチで,立ち上がりが早そうなSSDのものが欲しいかなと。

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