当ブログは2005年6月2日に開設しました。タイトルは実家で猫を32匹飼っていたことがあり,懐かしい光景が思い浮かんだのでつけた感じです。内容はキラキラブログでも応援ブログでも情報ブログでもなく基本的には厭世ブログなので好みは分かれるかと。

となりました。

といっても大学院はまだなのですが。

最終日でも日々のノルマを淡々とこなして終わりのような。

あとは少し部屋の整理をする感じでしょうか。

最大の問題は休み中に形成された二度寝習慣の回復にあるのですが(^_^;)。


*SNS系もいろいろやっています。

1.プロフィール
リサーチマップ
http://researchmap.jp/neko-to-hirune/


2.名言系のリツイート多め,お出かけ時も更新。
ツイッター
https://twitter.com/Hashiguchi_s


3.ほぼ更新なし。「ROM」用。
フェイスブック
https://www.facebook.com/seishiro.hashiguchi.3


4.お出かけ時に1枚ほどアップ。
インスタグラム
https://www.instagram.com/hashiguchi_s/


が結局は一番のようだ。

これがS1S2期はペースが掴めず,思うように行かなかったからなぁ。

まあ,それは「1年の始めは誰でもそうだろう」ということにしておいて,A1A2期は反省を活かさないとである。


を視ました。

どうやら,

1回め
全体主義の起原 1――反ユダヤ主義 【新版】
ハンナ・アーレント
みすず書房
2017-08-24





2回め
全体主義の起原 2――帝国主義 【新版】
ハンナ・アーレント
みすず書房
2017-08-24





3回め
全体主義の起原 3――全体主義 【新版】
ハンナ・アーレント
みすず書房
2017-08-24





4回め
エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告【新版】
ハンナ・アーレント
みすず書房
2017-08-24





という流れのようですね。

3回め,4回めが盛り上がりそうですね。

1回めのキーワードは,閉塞感,だったのではないでしょうか。

その閉塞感は,その解放を求めて,何かの「せい」にできる機会,あるいは,何かに「あたれる」機会を待っているのかもですね。

考えてみると,当時のドイツは,第一次世界大戦で負けた上に,賠償金も払う云々で「大変」だったはずで,それはまあ,そうなる条件はあったのでしょうね。


*SNS系もいろいろやっています。

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3.ほぼ更新なし。「ROM」用。
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4.お出かけ時に1枚ほどアップ。
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https://www.instagram.com/hashiguchi_s/

感じの朝になってきている。

暗さもアップしてきているようだ。

季節は変われど,日々のノルマを淡々とこなしていくのは変わらず・・・。


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研究(発信版)はおそらく「私じゃないとできない」という錯覚を持てるから続けている可能性「も」ある。

仕事の場合は,今日私が死んでも代わりはいくらでもいる状態なのと対照的なように感じる。

問題は,その研究成果も出来た瞬間は良いものだと感じるのだが,時を経ると何ともショボいものに感じる上に,誰も興味は持たず,最終的には地球爆発でゼロとなる。

そう思うと虚しい行為なのだが,暇つぶしライフにはプラモデルなどと同様に趣味にはできるのではないか。

ただ,やはり,私は研究(発信版)ではなく,お勉強(受信版)の方が好きなのだが。

である(大学院は25日(月)から再開)。

ある意味で,夏休みが終わることになる。

本棚の移行が一大事業だったので,それができただけでも良かったのかなと。

言わば,「共同体感覚」を持つ個体が集団の中に一定数いないとマズい,みたいなものだ。

組織もそうではないだろうか。

様々な「雑用」が,それこそその「共同体」を支えるものだ。

「雑用」は直接的な利益は個体にあるわけではないので,めんどくさいものだろう。

ただ,その「雑用」を大きくみたものに取り組む個体がいることもまた事実。

それを考えると,なかなか上手くできているといえるのかもしれない。

はこれまたよく言われる。

続けて「何で変えたんだ?」とも言われる。

理由はこうだ。

現在うまくいっているテーマで指導してもらえる指導教員がいなかった。

新しいテーマで1からやり直すのは,めんどくささの極みだった。


なのだ。

△鬚垢襪覆蕕範係紊痢峅砲弔屬掘廚砲笋詬縦蠅世辰燭海箸鯀暗櫃靴砲靴心兇犬覆里澄

まあ,確かに「人生が終わる」リスクを背負ってしまったが,私にとっては退屈もまた「人生が終わっている」ので,どっちもどっちのようだ。

ただやはりプレッシャーはかかるが,私にとっての難敵「退屈」はしないので,まあまあと言ったところだろうか。

が今日明日と開催される。

私はここまで5年連続で発表していたのだが,今年は大学院の日程が読めなかったため欠場とあいなった。

特に筑波大学(茨城県つくば市)より北には行ったことがない私としては北海道とか行ってみたかったのはあるのでちょっと残念だ。

まだ未発表データがあるので,来年,再来年辺りくらいまでは出場できそうだ。

最近,私の周囲でも本を出す人がちらほら出始めた。

で,SNS全盛の昨今,本を出した人が色んな人に献本をしているのがTLに流れてくる記事で判る。

「ん!?俺にはないのか?」と思ったりもするのだが,「待てよ,献本されると感想書かないとマズいよな」とも思い「めんどくさいから良いか」とも思ったりもする。

何とも「両価値」的だ。

えっ!?お前は献本とかしないのかですって!?

私は,「自分にとって価値があるものでも他人にとってはゴミである」,という考え方なので,献本ハラスメント(!?)はしない派である(まあ,単著はないので正確には私には献本行為はできないのだが)。

でかつ寒い。

今日はノルマこなしを淡々とという感じだろうか。

途中,聖蹟桜ヶ丘へ買い物に行こうかと。

本や論文を出すと,ときどき「業績になるから良いですね」と言われることがある。

まあ,それはアカデミックポストを狙う人にとってはそうなんだろう。

私は専門を変更したので「業績」は実質的にゼロなのだ。

まあ,良いではないか,英文科から転向したときもゼロになったのだし。

ただ,修論さえ簡単には行かず,なかなか進まないので,プレッシャーはかかってしまうのだが。

男と女のアドラー心理学
岩井 俊憲
青春出版社
2017-09-01






が気になる感じでしょうか。

前者は,アドラーブーム本ではお初の分野となるラブタスク(夫婦編)っぽいですし,後者は,前著と違って全てアドラー自身の言葉が引用してあるみたいなので。

夏期集中講義も終わり,今日は休みにしようと,昼寝をしていたところ,何だか足元が寒いではありませんか。

夕方も26度前後で湿度も60%程度と,何だかエアコンをつけている状態になっていました。

あと,昨日の講義の帰り道に,同じ時間でも気持ち暗めになっていたような気もしました。

やはりというか当たり前というか,秋になっていくんでしょうね。

私はといえば,ようやく落ち着いて「研究」ができる感じになり良かったなと。

である。

最終日ではあるが,既に疲れまくっている。

一昨日は高幡不動駅で座れ,昨日は聖蹟桜ヶ丘駅で座れたが,今日も「運が良い」かどうかは謎である。

既に眠いという・・・。

やはり久しぶりの「お出かけ」は疲れるみたいで(^_^;)。

さて今日は行きの電車は座れますかどうか。


なるほど,このようなものが。

このプランなら(量的研究の)論文が書けそうだ。

□研究の方法をきちんと取得したい

人なら30000円×4は激安設定であると言えるのではないか。

本来,大学に行く意義は,「研究法を学ぶ」にあると思われ,それが30000円×4で習えるなら超お得だ。

エビデンス・ベーストな世の中,そのエビデンスを生み出す研究法の「手の内」を知っておくのは統計的結論に騙されないため(!?)にも有効かと思われる。

アドラーフェストだけとは言わず,臨床・教育アドラー研究会で発表したり,良い結果が得られれば学会誌に投稿するのもアリですな。


の著者がこの内容を話すという講義なのだが,さてさてどうなりますことやら。

各日,後半は各々の受講生がナショナリズムについて発表するという展開だ。

私は明日担当することになっている(各担当15分発表,30分討議)。

日本臨床・教育アドラー研究会というのがある。

毎年3月上旬くらいに開催されるものだ。

だいたい午前中は有名どころの講演,午後はアカデミック系の研究発表1つと事例発表1つ,という感じだろうか。

間の昼休みには,ビュッフェスタイルの昼食があり「懇親」するのも特徴かも。

何年か前から10月くらいに講演とか発表ではなく研修という形式が加わり始めた。

なので,実質的に年2回開催されている感じになっている。

お暇な方はおでかけしてみてはどうだろうか。


アドラー系のラインナップだろうか。

久留米といえば,熊本から福岡に行く途中の通過点というイメージだ。

しかし,心理系から専攻を変更した今思うのは,こうやって発表するにも,そこに至るまでの過程では,それ相応の積み重ねが必要だったことが解ることだ。

ましてや,投稿論文を書くとなると,さらなる積み重ねが必要だったんだなと。

専攻を変更した私はまだ発表するにも至らない段階に「戻って」しまったので,その辺,しみじみと感じるしだい。

まだまだ道は長そうだ(^_^;)。

はやはり完全にはできなかった。

1.修論(博論)用の原書を1日10ページ読む → 1章分しか読めず。

2.新しい本棚への書籍の入れ替え → ◯

3.投稿論文の改訂 → ◯

4.紀要論文の投稿 → ◯

5.2つの夏期集中講義の単位 → (たぶん)◯

みたいな感じだろうか。

まあ,仕事がもうすぐ開始とはいえ,大学院の夏休みはまだ続くので,1をできるだけ読み進めたいところだ。

したいと思っている。

今年度は仕事を減らしていてお金がないのだ。

心理臨床学会は頑張って行ってみようと思っているが,それも懐しだいだ。

う〜む,やはり秋になってきたということかもなぁ。

秋は何だかしんみりしてしまう季節でもある。

そして年末も直ぐ来るのだろう。

ふう。

これで完成だ・・・。

8月の前半にも夏期集中講義を受けたが何となく良い感じだ。

これはこれで良い形なのかも。

とにかくこれで夏が終わるということだろう。

仕事は7日(木)から大学院は25日(月)から開始だ。

夏休みは正確には6日(水)までということかもしれない。

またあのサイクルが回り出すんですねぇ・・・。

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それこそ保育園に入る前くらいの年のころだろうか,近所に一軒家で独り暮らしをしている,おばあさんがいた。

当時の一軒家はまだ瓦葺屋根の家も存在しており,そこは瓦葺屋根の家で縁側もあり,私が行くと直ぐ会うことができていたりした。

庭には菜の花とかが咲き,モンシロチョウも飛んでいた。

考えてみれば,そのおばあさんは,ネットで発信することもなく,ましてや本や論文を書くこともなく,死んでいったわけだ。

少し前から,何だかその一軒家とおばあさんと菜の花とモンシロチョウのセットがときどき思い出すようになってきている。

たぶん,私も本当はああありたいのだろう。

が,いわゆる「普通である勇気」を失い,色々と発信してしまった。

これは私が未熟だったからだと今では思っている。

今ステージでは,俗欲にまみれ,もう色々「やらかして」しまったので,次のステージ(あるのか!?)は,あのおばあさんのようなステージにたどり着きたいものだ。

「アドラー棒で殴る(叩く!?)」という言葉があるらしいのだが,確かに不調時に言い訳(=劣等コンプレックス)を封じられるのはけっこうつらいものがあるかもしれない。

私もだいぶ長いこと言い訳系については訓練してきたつもりだが,ふとしたところで出て「しまう」のがなかなか難しいところだ。

あと,少しずれるが,「ほんとうに本気なら借金してでもやるはずだ」については,確かにそうだろうなと思う一方で,借金が「本気で」嫌な人もいるだろうという思いもあり,立場が定まらないでいる。

似たようなことは,「本気なら来るはずだ。来ないのはそれの優先順位が低いからだ」というものもあり,絶対的に適用すると確かにそうなのだが,これもまた厳し目ではあるのかなと。

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