当ブログは2005年6月2日に開設されました。タイトルは実家で猫を32匹飼っていたことがあり,懐かしい光景が思い浮かんだのでつけました。内容はキラキラブログでも応援ブログでも情報ブログでもなく基本的には厭世ブログなので好みは分かれるかと。

徒歩では汗をかくレベルに

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総武線水道橋駅から大学まで約20分を徒歩で通っている。

暑くなってきたので,さすがに汗をかくレベルになってきた。

が,帰りのころは,むちゃくちゃ暑いというわけではないので,だいぶ助かる。

もちろん,あまりにアレなときは新宿駅から大江戸線に乗って本郷三丁目駅へ向かうのだが(定期ではないのでそこは216円かかる)。

【日程】2017年9月16日(土)10:00〜18:00(6.5時間)

     受付9時30分〜 2日間連続

    17日(日) 9:30〜15:00(4時間)

     受付9時00分〜

*各日とも1時間半の昼休みが入ります

【会場】 東京都南青山を予定 詳細は申込み後にお伝えいたします

【定員】35名

【講師】Dr.Terry Kottman テリー・コットマン博士

【講座内容(講師より)】 この体験的で楽しいワークショップでは、解釈、治療的なメタファーをデザインすること、ダ ンスや動きのアクティビティ、リフレーミング、ロールプレイといったより発展的なプレイセラ ピーのスキルの理解を深め、身につけていきます。解釈、その子その子に合わせて考えられたメ タファー(custom-designed metaphors)、ダンスや動き、ユーモア、リフレーミングを使う方 法を探求すると同時に、ロールプレイを用いて、プレイセラピーのクライエントが自分の呈して いる問題やその背景にある事柄について洞察を得られるよう手助けします。また、プレイセラピ ーのセッションの中で、クライエントにより適応的な行動を教え、自己敗北的な信念と態度を変 えられるよう手助けし、感情を探索し、向社会的な問題解決スキルを育て、関係性を築くスキル を伸ばすために、治療的な物語法や、ダンスや動き、ロールプレイをどのように使えばよいのか を練習します。

以上

こ・・・,これが・・・あのアドラー派(たぶん)初の「エビデンス・ベースト」となった(とされている)「アドレリアン・プレイセラピー」なのか!!!

一度,見てみたい気もするなぁ・・・。

アドラー系が招聘したのではなく日本プレイセラピー協会が招聘したところが面白いですね。

【追記】
Terry Kottman, Ph.D. テリー・コットマン先生 「ザ エンカレッジメント ゾーン」を設立し、そこでプレイセラピーの訓練と スーパーヴィジョン、ライフコーチング、カウンセリング、そして女性のための “プレイショップ”(註:ワークショップをもじった造語)を行っている。 コットマン博士は、個人心理学(アドラー心理学)とプレイセラピーのアイデ アと技法を組み合わせた、子ども、家族、および成人の治療のためのアプローチ であるアドレリアン プレイセラピーを開発した。コットマン先生は定期的にワークショップを行 うと同時に、プレイセラピー、活動ベースのカウンセリング、ライフコーチングについて執筆して いる。代表的な著作には Play Therapy:Basics and Beyond があり、最新のものとしては MeanyWalen 博士との新しい本 How To Play Therapy が出版予定である。その他にも、プレイセラピー、 メタファー、学校のカウンセリング、子どもや家族とのカウンセリング、アドラーの療法、完璧主義に関する多くの論文や書籍の章を書いている。2014 年には、プレイセラピー協会の生涯功労賞 を受賞した。

ナン&カレーは好きなメニューの一つ

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最近,日野市でも三沢にあるこのカレー屋に来ることが多くなった。

ナン自体が美味しいのだ。

なので,食後ももったり感が少なく,どかっとこないところも良いかなと。

今回は辛口を頼んでしまい,汗をかきながら食べることになってしまったが,次回はまた普通にすることにしよう。

今回も満足であった。

なお,ここは昔,そば屋だったのだが,中はほぼそのまま,外見が少しインドっぽくなった。

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というものを岩井先生がブログで取り上げていた。

優越コンプレックスとは,要するに「自慢」ということだ(たぶん)。

まあ,現実場面で優越コンプレックスを表明する人は極稀にしかいない感じだろうか。

ただ,昨今は,SNSで「自慢」をする人が大量に出回っている感じだ(もちろん私もそうだ)。

まあ,面と向かって言っているわけではなく,見たくないなら見なければ良い,という話ではあるが,もう少し,実際場面だったら,言うだろうか,という視点は持っていても良いのではないだろうか。

なお,「自慢」系に関していうと,あくまでも相対的であるという面もあるかなと。

「自慢」ととるかどうかは,相手の受け取り方もあり,本人が「自慢」しているつもりはなくても,相手が「自慢」と受け取る場合や,本人が「自慢」しているつもりでも,相手が「自慢」ととらない場合もあるということだ。

SNSの難しいところは,前者の場合なのかもしれない。

カテゴリ:
「表現者」の宿命で,「批判」されるのは,これはやむをえない。

どの表現にしろ,万人に許容されるものはないからだ。

以前に書いたと思うが,あのカレーライスやハンバーグでさえも嫌う人がいるし,三大聖人である,ソクラテス,キリスト,ブッダでさえも,当時,その三人を嫌っている人がいたわけで。

批判されるのを嫌がっていると,何も表現はできないことになる。

ただ,その「批判」している人も,実はそんなにシリアスに言っているわけでもなく,言った次の瞬間忘れていることが多々あるようだ(そういう人の大半はそうだとみている)。

ただ,配慮ができる人であれば,もう少し傷つかないような言い方にするとは思うのだが。

なお,私が受けた「批判」の中で最も直接的ダメージが大きかったのは授業評価アンケートであったことを付け加えてこのエントリを終えたいと思う(皆さんもああいうので「批判」に「慣れる」とよろしいかと)。

ザッカーバーグのハーバード卒業式スピーチ



ここに立てて嬉しいです。こんな土砂降りの中集まってくれて皆さんありがとう!ファウスト大学総長、監督委員会のみなさま、教授陣、卒業生、友人たち、そして誇らしく思っているご両親、顧問委員会のみなさま、そして、”世界で最も偉大な大学の卒業生”のみなさん!

私は今日ここにいられることを誇りに思っています。なぜって、あなたがたは僕ができなかったことを成し遂げた(中退したザッカーバーグと違って卒業したこと)んですからね!・・・このスピーチをちゃんとやりとげたなら、これがハーバードで僕がちゃんと最後までやりとげた最初の何かってことになるでしょう。

2017年クラスの皆さん、おめでとうございます!

僕はちょっと珍しいスピーカーかもしれません。いや中退したってことだけじゃなくて、僕は皆さんとだいたい同じ世代の人間ですからね。僕とみなさんは、10年も離れていない時期に同じこのキャンパスを歩き、同じ概念を学び、同じEC10の講義で居眠りした仲というわけです。

確かに違う経路を辿ってここまで来ました。もしあなたが、遠路はるばるthe Quadエリアから歩いて来た人だったりすると特にね。しかし、今日僕は「同じ僕らの世代」から学んだことについて、そして僕らが一緒に作っていくべき未来についてお話するつもりです。

でもその前に、ここ数日の出来事は色んなことを思い出させてくれました。

みなさんの中でどれくらいの人が、ハーバードからの合格通知のEメールを受け取った時にまさにどこで何をしていたか覚えていますか?

僕は、テレビゲームのシヴィライゼーションをやってて、階段を降りていくと、父親に会ったんですが、どういうことか彼がやったことは、僕がEメールを開くところをビデオに撮ることでした。そんなことして落ちてたらどうするつもりだったんでしょうね。

誓って言いますが、ハーバードに入ったことは両親が僕について最も誇りに思っていることだと思います。ほら、ウチの母親が頷いてます。

ハーバードでの最初の講義についてはどうでしょう?僕の場合は素晴らしいハリー・ルイス教授によるコンピュータ・サイエンス121のクラスで、遅れて大急ぎだったのでTシャツを逆に着ていて、背中のタグが前にあるのにも気づいてませんでした。

それで、なんで周りの人たちは僕に話しかけてくれないのかな?と不思議に思っていたんですが、KX・ジンってヤツが唯一僕に教えてくれて、おかげでちゃんと”問題は解決”できました。今彼はフェイスブック社の重要な部分を担ってくれています。

そう、だからね2017年卒のみなさん、周りの人には優しくしておいたほうがいいよ。

しかし、僕のハーバードでの最高の思い出は、プリシラ(・チャン。ザッカーバーグの奥さん)に会ったことです。

その時僕はちょうどイタズラで作ったウェブサイトのフェイスマッシュを立ち上げたところでした。そのイタズラについて、大学の顧問委員会が僕に”会いたい”と言って来て・・・まわりのみんなが僕はもう大学を追い出されると思っていました。私の両親なんかは僕の荷造りを手伝いにわざわざやってきたぐらいで。友人たちはサヨナラパーティを開いてくれたりしました。幸運なことに、プリシラはそのパーティに友達と来ていたんです。僕とプリシラはPfoho Belltower寮のバスルームで出会いました。そこでこれ以上ないくらいロマンティックな台詞を僕は言ったんです。

「ここ数日中に大学を追い出されちゃうからさ、できるだけはやくデートしよう」

みんな、この台詞、使っていいよ。

ともあれその時は退学にはならなかったんですが・・・まあ結局はあとで自分から退学することになったんだけど!

そしてプリシラと僕はつきあいはじめました。そう、あの映画”ソーシャルネットワーク”ではフェイスマッシュはフェイスブックを作る上で物凄く重要なステップだったように描かれてたけど、実際はそうでもなかったんですよ。でも、フェイスマッシュを作ってなかったらプリシラには出会えてなかっただろうと思います。そして彼女は僕の人生で最も大事な人だ。つまり、フェイスマッシュは僕がハーバードで作ったものの中でもっとも重要だったと言ってもいいかもしれないね。

私たちは、この大学で、一生モノの友達を得ます。そしてその中には家族となる者もいるでしょう。だから僕はこの場所に感謝してるんです。ハーバード、ありがとう。



さて。

今日、僕は「目的」について話します。しかし「あなたの人生の目的を見つけなさい的なよくある卒業式スピーチ」をしたいわけではありません。僕らはミレニアル世代なんだから、そんなことは本能的にやっているはずです。だからそうじゃなくて、今日僕が話したいことは、「自分の人生の目標を見つけるだけでは不十分だ」という話をします。僕らの世代にとっての課題は、「”誰もが”目的感を人生の中で持てる世界を創り出すこと」なのです。

ジョン・F・ケネディがNASA宇宙センターを訪れた時のエピソードで僕の大好きなものがあります。ホウキを持ってる清掃員さんにケネディが何をしてるのかと訪ねたら彼はこう答えました。「大統領、私は人類を月に送る手伝いをしているのです」。

「目的」というのは、僕ら一人ひとりが、小さな自分以上の何かの一部だと感じられる感覚のことです。自分が必要とされ、そしてより良い未来のために日々頑張っていると感じられる感覚のことなのです。「目的」こそが本当の幸福感をつくるものなのです。

あなたがたは、このことが特に重要な時代に生きています。僕らの両親が卒業した時には、「目的感」は仕事や、教会や、コミュニティがたしかに与えてくれました。しかし今は、テクノロジーと自動化技術が沢山の仕事を消し去っていっています。コミュニティへの所属感も消えてきている。多くの人が取り残され、抑圧されていると感じ、その空白感をなんとか埋めたいとあがいている。

私は色々と旅をする中で、少年院や薬物中毒者の子供達の隣に座って、彼らが「もし自分の人生に何かするべきことがあったなら、学校帰りにどこかでとか・・・そしたらもっと違う人生になっていたかも」と語るのを聞きました。また、もう慣れ親しんだ仕事は戻ってこないということを理解して、次の居場所を探している工場労働者の人たちとも出会いました。

この社会を前に進めること、それが僕ら世代の課題です。新しい仕事を作るだけじゃなくて、あたらしい「目的感」をも作り出さなくちゃいけない。

カークランド寮の自室でフェイスブックを立ち上げた夜のことを思い出します。Noch’s ピザ・レストランに友達のKXと一緒に行きました。僕はこう言ったことを覚えています。「今日僕がハーバードのコミュニティを繋いだってことには凄い興奮してるけど、でもそのうち誰かが世界中の人を繋ぐだろう」。

ここで重要なことは、「自分じゃないかもしれないが、誰かがやるだろう」というこの感じです。僕らはただの大学生のガキで、業界のことは何も知らなかった。大きなリソースのある色んなデカイIT企業がいくつもあってそれぞれが色々やってる。そのうちのどこかがやるだろうと思った。しかしこのことだけは物凄く確かにわかっていたんです・・・”人々は繋がりたがってる”ということだけは。だから僕らは毎日やることをやって前に進むだけなんです。

あなたがたの多くにも、似たような話があるはずです。「誰かが起こすであろう”ある変化”」があって、そのことが自分には明確に見えているという感じが。

しかし「誰か」がやるんじゃないんです。”あなたが”やるんです。

ただ、自分の人生の目標をそこで見つけるだけでは十分ではありません。あなたは、誰か他の人にもその「人生の目標」が持てるようにしてあげなくてはいけない。

それはとても大変なことでした。

実際、僕の望みは大きな会社を作るってことじゃなくて、社会にインパクトを与えることなんです。しかし、初期から一緒にやってくれてる人たちはそのことを当然わかってくれていると思っていたので一々説明はしませんでした。

でも数年たって、ある大きな会社が僕らを買いたいと言ってきた。僕は売りたくなかった。僕はもっと多くの人を繋げたいということだけを考えていた。その時は初期の「ニュースフィード機能」を作っていたところでした。そしてこの機能を公開できたら、人々が世界を知る方法を変えることができるだろうと思っていた。

でも、初期メンバーのほとんど全員が売りたがっていました。「より大きな目的感」がないなら、会社を売り抜けることはスタートアップの夢そのものだからです。このことで会社は分裂してしまいました。ある激論の後で、ある顧問が僕に「もし今売らなかったら、一生後悔するぞ」とまで言いました。人間関係はズタズタになり、一年ほどで経営陣チームの全員が会社を去りました。

その時が、フェイスブックを経営していて一番大変な時期でした。僕は自分たちがやっていることの価値を信じていたけど、でも孤独でした。しかも悪いことに、それは僕の過ちでした。間違ってたってだけならどんなにいいか。詐欺師で、22歳の世の中がどう動いているかがわかっていないガキでした。

そして今、何年もたって、私は、それは「より大きな目的意識」がない時に起きる自然なことなんだということがわかりました。そういう「目的感」を作れるかどうかは自分たち次第なんです。それがあればみんな一緒に前に進んでいくことができる。

今日、僕は世界に「目的感」を持ってもらうための3つの方法についてお話します。

その1・一緒に大きくて意味のあるプロジェクトについて語ること
その2・”平等性”を再定義して誰もがその目的に参加する自由を持てるようにすること
その3・世界規模のコミュニティを創り出すこと

です。

まず、「大きくて意味のあるプロジェクト」についてお話しましょう。

僕らの世代は、数千、数百万の仕事が自動運転車や自動トラックのような自動化技術によって置き換えられていく事態に対処しなくてはいけません。しかし、私たちはもっとそれ以上のことができるはずなのです。

どんな世代にも、その世代を特徴づける課題があります。30万人以上の人が、一人の人間を月に送るために働きました・・・清掃員さんも含めてね。百万人以上のボランティアの手によってポリオへの免疫を子供たちに獲得させることができた。百万人以上の人がフーバーダムを作った・・・などなど。

これらのプロジェクトは、その仕事をやった人たちに生きる目的を与えただけではありません。国全体に、「俺達は偉大なことができるんだ」というプライドを与えたのです。

次は僕ら世代の番です。あなたは「ダムの作り方なんて知らないし、百万人を動員する方法なんてわかんないよ」って思ってるでしょう?

しかし、秘訣をお教えしましょう。誰もそれを始めたときは知らないんです。アイデアはいきなり完成形でやってきたりしない。それについて取り組んでいるうちにだんだんクリアになってくるんです。とにかくまずは始めなくては。人と人を繋ぐ方法を最初から全部わかってたら、僕はフェイスブックを始めなかったでしょう。

映画やポップカルチャーは、ここのところがわかってません。「そうかわかったぞ!(エウレカ!)」と叫ぶ奇跡の一瞬があるというのはキケンな嘘です。自分にはそんな瞬間なかったぞ・・・と居心地の悪い思いをさせてきます。その嘘によって、「将来大きくなるはずのアイデアのタネ」を持っている人がとにかくそれを始めることを辞めてしまうかもしれない。あ、そうそう、イノベーションについて映画が間違ってることがもう1つあった・・・「誰も数学の方程式を窓ガラスに書いたりしません」。

理想主義的であること自体は良いんです。しかし、誤解しないようにしなくてはいけません。大きな目標に向かっているすべての人は狂人扱いされます。たとえ最後には正しかったとわかる場合でもね。複雑すぎる課題に向かっているすべての人が、その人が自分がやってることをちゃんと理解してないとか言って責められます。事前に全部わかってるなんてことが全く不可能な場合であってもです。

イニシアティブを取るすべての人が、急ぎすぎだと非難されます。いつだってもっとゆっくりさせたい人たちがいるからです。

僕らの社会では、あまりにミスを恐れるあまり、もし何もせずにいたらそもそも全てがダメになってしまうということを忘れてしまって、結局何もせずにいてしまうことがよくあります。そりゃ何をやっていても、それなりに未来に結果は出ますが、しかしだからといって、僕らが「それを始める」ことを辞めてはいけません。

じゃあ僕らは何を待ってるんですか?「僕らの世代の課題」に取り組むべき時です。数百万人の人々をソーラーパネルの製造と設置に巻き込んで、気候変動問題を止めるというのはどうでしょう?すべての病気についてボランティアを募って彼らのヘルスデータと遺伝子データを集めるというのは?今日僕らは病気になる前に診断して対処するよりも50倍以上もの費用をかけて治療をしています。そんなことは馬鹿げていますね。なんとかしましょう。

オンラインで投票できるようにして民主主義を現代化するというのは?あるいは教育を個人化してすべての人が学べるようにするのは?

これらの課題はもうすぐ手が届くところにあります。すべての人に役割を与えるプロセスの中で、キッチリ全部実現させてしまいましょう。ただ「進歩」を実現するためだけでなく、多くの人のための「目的」を創り出すために。



さて、「大きくて意味のあるプロジェクト」の話が、あらゆる人が人生に目的を持てる世界を作るための一つ目だったとして、二つ目は、”平等性”を再定義して誰もがその目的に参加する自由を持てるようにすること・・・です。

僕らの両親の世代の多くの人は、そのキャリア全体において安定した仕事がありました。しかし今はすべての人が”起業家的”です。何かスタートアップをやってる人にしろ、組織にポジションを得てる人にしてもね。それは凄いことです。僕らの社会の起業家精神は、これだけの進歩を作り出した方法そのものですから。

起業家文化は、多くの新しいアイデアを簡単に試せるようになっている時に栄えます。フェイスブックは僕が最初に作ったプロジェクトではありません。僕はゲームも作ったし、チャットシステムも作ったし、スタディツールも、音楽プレイヤーも作りました。こういうのは僕だけの話じゃないです。JKローリングはハリーポッターを出版できるまでに12回も断られました。ビヨンセですら!”Halo”を作るまでに何百曲と作ったんです。大きな成功は「失敗する自由」によって生まれます。

しかし今日、僕らの社会はどんな人にとっても問題であるほどの富の格差問題を抱えています。もし”ある人”がそのアイデアを実行に移す自由がなかったら、それは”僕ら全員にとっての”損失です。

今の僕らの社会は既に実現した成功に報いることを過剰に評価しすぎる一方、あらゆる人が十分にチャレンジできる余地を与えることはできていません。

そのことを直視しましょう。僕がこのキャンパスを去って10年以内に何十億ドルと稼げた一方で、何百万もの学生がその学資ローンの支払いにも困っていて、小さく彼らのビジネスを始めることすらできていていない。そんな社会は、どこかが間違っている。

僕は色んな起業家を見てきて、その仕事じゃあ十分稼げないから辞めたっていう人は一人も知りません。しかし、それが失敗した時に致命的なことにならないようにする緩衝材としての経済的余裕がないために夢を追うこと自体をそもそも諦めてしまう人は沢山見てきました。

良いアイデアと、ハードワークがあれば必ず成功するわけではないことはみんな知っています。それだけじゃなくて運も必要です。もし僕がコードを書くかわりに家族を支えなくてはならなかったら、そしてもしフェイスブックがうまくいかなくっても死ぬわけじゃないってことがわかってなかったら、今日僕はここにいないでしょう。実際の話、今ここにいる人はそれだけで既に相当ラッキーな生い立ちなのです。

すべての世代が、「平等」という言葉の定義を押し広げてきました。上の世代は、投票権と公民権について戦った。それらはニューディール政策とグレイトソサエティ政策に結実しました。今、僕らの世代が僕らの世代の新しい社会契約を結ぶべき時なのです。

これからは、GDPのような経済的指標だけでなく、どれだけ多くの人間が、意味のあると感じられる人生を送れているか・・といった指標で社会の進歩を測っていくべきです。だれもが自分の新しい挑戦ができる余地が与えられるような、ユニバーサルベーシック・インカムのような制度が検討されるべきだ。

一生のキャリアの中で働く会社を何度も変えなくてはいけない時代だから、1つの会社に紐付けられていない形の、多くの人にとって手の届く育児とヘルスケアの仕組みが必要です。

誰しもがミスをします。だからこそ僕らには失敗者が身動きできなくなったり、汚名を着せられて社会的に抹殺されたりしない社会が必要です。そしてテクノロジーが変化し続ける時代ですから、若い頃に一度だけの教育でなく生涯に渡って変わり続ける教育にもっとフォーカスした仕組みが必要です。

そして、そう、あらゆる人にその目的を追う自由を与えることはタダではできません。僕のような人間がそのコストを支払わなくてはならない。そしてあなたがたの多くも、そうすべきだし、実際にすることになるでしょう。

だからプリシラと僕は、チャン・ザッカーバーグ・イニシアティブを始めて、僕らの財産を機会均等の推進のために使っています。これが僕らの世代の価値観です。僕らはこれをやるかどうかについては、一度も疑ったことがありません。問題は”いつ”やるかだけでした。

ミレニアル世代は、最もチャリティに前向きな世代の1つです。1年の間に、4人中3人のミレニアル世代が何らかの寄付をし、10人中7人が何らかのチャリティ基金を呼びかけています。

しかし問題はお金のことだけではないのです。時間のこともある。週に1時間か2時間あれば、誰かに手を差し伸べることはできます。その人がその人の潜在的可能性に到達できる手助けができるのです。

そんなに時間取れないよ・・・と思うかもしれない。プリシラがハーバードを卒業した後彼女は教師になりました。そして彼女と教育関係の仕事を始める前に、彼女は僕に一度クラスを持ってみるべきだと言いました。僕は文句を言いましたよ・・・いや、っていうかね、僕も結構忙しいんだよ。この会社経営してるんだし・・・ってね。

でも彼女がどうしてもというので、地元の少年少女クラブでの中学生の起業についてのクラスを教えました。

僕はそこで製品開発やマーケティングについて教えて、彼らは僕に、自分の人種が社会から目の敵にされることや家族の一員が刑務所にいるってことがどういう感じなのかを教えてくれました。

僕は自分の学校時代のことを話しました。そして彼らも、いつか大学に行ってみたいという希望について語ってくれました。それから5年たちますが、僕は彼らと毎月食事をしています。彼らのうちの一人は、僕とプリシラにとってのはじめてのベイビーシャワーパーティを開いてくれました。そして次の年、彼らは大学へ行きました。一人残らず全員がです。彼らの家族でははじめてのことです。

僕らは誰しも、誰かに手を差し伸べる時間を作れます。すべての人に、自分の目的を追える自由を与えましょう。それはそうすることが正しいことだからというだけではありません。そうすることで、より多くの人がそれぞれの目的を追求できたら、僕らの社会全体がよくなるから、そのためにやるのです。それが理由なんです。



さて、目的感は仕事からのみ来るものではありません。3つめの話は、コミュニティを作ることでみんなに「目的感」を与えることができるという方法です。そして僕らミレニアル世代が「everyone」という時、それは「(アメリカ国内だけでなく)世界中のみんな」のことです。

外国から来た人、手を上げてもらえますか?じゃあ、彼らと友達になっている人はどれだけいますか?・・・この通り僕らは「繋がっている時代」に育ってきたんです。

ミレニアル世代に、自分たちのアイデンティティを問うと、最も多い回答は「国籍」ではなく宗教でもなく民族でもなく、「世界市民」だという調査結果があるそうです。これは凄いことだ。

すべての世代が、「ぼくたち・わたしたち」という概念を押し広げてきました。僕らにとっては、ついにそれが世界中に広がることを目指しているわけです。

人類の歴史は、小さい集団からより大きな集団へ、部族から都市へ、そして国へ・・・と多くの人間が寄り集まり、協力しあうことで今までできなかったことを可能にしてきた物語であることを、僕たちは知っています。

そしてその最も大きなチャレンジが、今まさにグローバルに展開していて、僕らはまさに貧困や病気を終わらせることができる世代でもあるのです。そのためには世界中からの協力を得ることも必要です。気候変動問題や世界的な感染症の拡散問題について、どの国も一国だけで対処はできません。今目前にある問題は、都市単位や国単位でなく、グローバルコミュニティレベルでの協力関係が必要な課題なのです。

しかし、僕らは不安定な時代に生きています。世界中にグローバリズムに取り残されたと感じている人たちがいる。もし自分が暮らしているホームグラウンドで自分たちがちゃんと良く生きられていると感じていない時、世界のどこか他の場所の人たちのことまで考えるのは難しいです。そういう時には内向き志向の圧力が高まります。

これは僕らの時代の課題です。自由と開かれたグローバルコミュニティと、権威主義や孤立主義、そして国家主義との争い。知と交易、移住する人の流れを促進していく力と、それをスローダウンさせようとする力とのぶつかりあい。これは国同士の争いではなく、考え方同士の争いなのです。どんな国にもグローバルな繋がりに賛同する人がいるし、またそれに反対する「良い人たち」もいます。

これは国連で何か決めたりできるような問題ではありません。もっとローカルなレベルで起きていることです。もし十分な数の人間が自分自身の人生に目的と安定を感じて生きられているとしたら、その時人類は「他の地域の人たちの問題」についてケアしあうことも可能になるのです。

だからこそ最善の対処法は、今ここで、ローカルなコミュニティを立て直すことなのです。

人間は人生の意味をコミュニティから得ています。エリオットハウスの人?ハーバードロー?そりゃあなたたちは自分たちがトップだって感じられるでしょうね。母親たちは?

それがどんなものでも家だったり、スポーツチームだったり、教会だったりアカペラグループだったり、それらは自分がより大きな何かの一員であることを、そして一人じゃないってことを教えてくれます。それによって僕らは自分の可能性を押し広げる強さを得ることができる。

だからこそ、この10年であらゆる社会グループが4分の1も減少したことが致命的なことなのです。世界にはそれ以外のところで何とか人生の目的を見出さなくてはいけない人たちで溢れている。

しかし、人間はもう一度コミュニティを立て直すことができるし、多くの人はすでにそうしています。

僕はアグネス・イゴイェに出会いました。今日の卒業生です。アグネス、どこにいます?アグネスは子供時代を、人身売買の横行するウガンダの紛争地帯で過ごしました。そして今彼女は、ローカルコミュニティの安定に寄与する数千もの法律家のトレーニングをしています。

また、ケイア・オークリーとニハ・ジェインにも会いました。二人も今日の卒業生です。ほら、立って。ケイアとニハは慢性病に苦しんでいる人たちの、コミュニティ内部での助け合いの関係を繋ぐ非営利団体を立ち上げました。

そしてデイヴィッド・ラズ・アザール、ケネディスクール(政策大学院)を今日卒業した・・にも会いました。ほら、デイヴィッド、立って!彼は元市議会議員で、メキシコシティをラテンアメリカで最初の「婚姻の平等」を実現した都市に・・・サンフランシスコよりもはやく!導きました。

そしてこれは僕の物語でもあります。寮の部屋のある学生が、まずある1つのコミュニティを繋ぎ、そしてそれが世界中に広がっていったのです。

変化はローカルに始まります。グローバルな変化も最初は小さく始まる。僕らのような、僕らの世代において、もっと多くの人を繋ぐことができるかどうか、僕らの最大の課題が実現できるかどうかは、全てこのことにかかっているんです・・・あなたがコミュニティを創り出し、そしてありとあらゆる人が、自分の人生に目的感を感じられる世界を創り出すことができるかどうかにね。



2017年クラスのみなさん、あなたがたは、「目的」を必要としている世界へと飛び込んでいきます。それが創り出せるかどうかはあなた方次第なんです。

そんなこと本当にできるかなあ!?って思っていますか?

僕が少年少女クラブで教えたクラスの話を思い出して下さい。ある日授業の後で、僕は彼らに大学の話をしました。そして彼らのうち最も優秀な一人が手を上げて、自分は不法移民だから大学に行けるかどうかわからないと言いました。彼が大学に行けるかどうか彼にはわからなかった。

去年僕は彼を誕生日に朝食に誘いました。何かプレゼントをあげたかったので何がいいか聞きました。そしたら彼は苦労している学生たちのことを話し始め、社会正義に関する本が欲しいかな・・・と言ったんです。

僕はびっくりました。彼は人生についてシニカルになってしまっても当然な状況にいるんですよ。国が自宅に電話かけてきて、彼の大学への夢を断ってしまうかもしれない状況にいる。でも彼は自分を悲観したりしません。彼は自分のことを考えてすらいない。より大きな目的感の中で生きていて、人々を巻き込んで行くのでしょう。

彼の未来を危険にさらすことになるのでここで彼の名前すら言うわけにはいかないような社会状況ではありますが、しかしもしある高校の上級生が、その人の分社会を前に進める未来がわからずにいるなら、他の僕ら全員がそれを代替していく責任を負うことになるのではないでしょうか!?

このゲートを出て来る前に、メモリアルチャーチの前で、僕はミ・シャベイラの祈りを思い出していました。それは僕が困難に直面した時にいつも唱える祈りです。自分の娘をベッドに連れていく時に彼女の未来を思っていつも歌っている祈りです。それはこう続きます。

「私たちに先立つ者たちに祝福を与えてきた力の源よ、私たち自身の人生に祝福を与える勇気を見いだせるよう助けてください。」

みなさんがそれぞれの人生を祝福する方法を見いだせることを願っています。

2017年クラスの皆さん、おめでとうございます!グッドラック!

(スピーチは以上です)

倉本圭造 訳

http://keizokuramoto.blogspot.jp/2017/05/blog-post_74.htmlより

学部=インプット,大学院=アウトプット,という図式がまあ正解に近いのではないか。

正確には学部も最終目標はアウトプットなのだが,今はそこまでそんな感じではないだろう。

アウトプットとはつまり査読のある学会誌に論文を投稿して査読を突破し論文を掲載することとなるだろう。

まあ,それは正統派中の正統派で,個人的には,人生も一段落し,何となく暇なので,アカデミックな雰囲気に触れて「遊ぶ」みたいなのは意義としてありかなと(まあ,それは私のことなので自己正当化でもあるのだが)。

もちろん,それがアウトプットに結びつけばクジ運が良かったということだ。

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がある。

我々心理職で言えば,心が大事,挙句の果てには,心理職がやっていることが一番大事となる。

まあ,そう思うこともやむなしではあるが,では,その心理職から見て他の職のランクが下がるように,他職種からみれば,心理職のランクも下がるということだ。

例によって「one of them」なのである。

これは個々人にも言えることなのだが,この辺の事情は,なかなかどうして口で言うほど簡単ではないようである。

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はできる人とできない人がいるようだ。

例えばであるが,私は結婚をしていない,そんな私が「結婚は最終的には飽きるはずである」などと発言することは,可能ではあるが,しかし,その発言の権利はない,という感じだ。

要するに「持たざる者のの僻み」となるわけだ。

ところが,世の中には,自分を棚に上げることができる人がいて,僻みと思われようが,ブーメラン状態だとうが,とにかく発言できるみたいなのだ。

私なぞは絶えず「自分にそれを言う資格があるのだろうか」と考えるのだが,もしかするとそういう人は割合的には過半数割れの可能性もある。

とにかく,私の発言は,自分を棚に上げにくい私ならではの内容になっているのだ(もちろん,その条件を外せば,もう少し「幅が広がる」のではあるが)。

の順に領域横断的に有名になれる寸法だ。

ただ専門家的には右に行くに従って偽物の割合が高くなる傾向にもあるように思う(もちろん,そうでない場合もある)。

が,しかし,そうなると有名でないものの僻みだと言われる可能性もあり難しいところだろう(こう書いている私にもブーメランとなる)。

私は無名のまま終わりそうだが,有名になると,どんな気分になりどんな生活になるんでしょうね。

たぶん,それも向き不向きなのだろう。

私はそうだなぁ,テレビに出たいとすれば,バラエティ番組でお笑い芸人に弄ってもらって「おいしい」思いをしてみたいというのはあるかな。

あ,もしかすると,これは「夢」なのかもしれない(^_^;)。

だったのかもしれない今週であった。

2週連続の英語本の1章をレジュメ作って発表だったので,それはそれは神経をすり減らした。

6月の後半に1回(日本語),7月の後半に1回(英語)があるので,安心はできないが,今回のように詰まってはいなので,少しは楽かなと。

あと,今回のが良い経験にもなったのもあるかもしれない。

う〜む,カールが東京で食べられなくなるのは,けっこう痛い・・・。

私はうす味が好きで時々食べているのだが(そもそもうす味の店頭登場頻度は低い),今後は九州に帰省したときは食べられるという感じになるのだろうか。

ていうか,カレー味に至っては,九州とかでも食べられなくなるというお話のようで・・・。

こういうのも時代なのか・・・。

そういう感じで言えば,ポテトチップスとかポッキーとかコーラとかはすごいお菓子なんだなと再認識してしまう。

カール,ギリギリまで食べてみることにしましょう。


2週連続で,ぐり〜んうぉ〜く多摩へ

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行ってきました(画像はマリオンクレープのクレープを食べながら見える光景)。

先週買った本棚が(・∀・)イイ!!物だったので,揃えるという意味でも早く買っておかねばという感じでした。

いや〜,本が(・∀・)イイ!!具合に収まり,見栄えも(・∀・)イイ!!ので,実に(・∀・)イイ!!ですね。

ウシジマくんvs.ホリエモン 人生はカネじゃない!
堀江 貴文
小学館
2016-09-03




bot系のもので,この本の引用がけっこうなされていたので,買ってみた。

ホリエモン本はけっこう読んでいるが,これもなかなか面白い。

てっきりコラボ本かと思いきや,ホリエモン単著のようだ。

ウシジマくんを時々引用するという感じだ。

しかし,いつかはウシジマくんを揃えたいものだ,中古本38巻セットは10000円くらいで手に入るのだが,また買っていない。

夏休みとかに読んでみようかな(第1巻は読んだことがあるが面白かった)。


医学的研究のデザイン 研究の質を高める疫学的アプローチ 第4版
メディカルサイエンスインターナショナル
2014-09-01

授業では英語文献を読んでいる感じだが,その参考書として勧められていたのがこれだ(第4版なので,定番だろうとは推測がつく)。

昨今のエビデンスベースト云々は元々はエビデンスベーストメディスンだったので,これがその分野の人気のある教科書なのだろう。

心理の本では取り上げられてはいるもののイマイチよく説明されていない印象があるコホート研究やランダム化比較試験が載っている(こちらは第3版なのでこちらも定番なのだろう)。
基礎から学ぶ楽しい疫学
中村 好一
医学書院
2012-12




これもお勧めしてあったので,余裕ができたら(いつになるのか)読んでみることにしよう。

私は心理の「残業」として,介入研究がまだ残っているのだ。

その研究デザインをこの辺りでもお勉強したいところだ。

下着なしの完全半袖で通学したが,水道橋駅から大学までの20分で汗が出てくる温度であった。

もうそんな季節になるんですねぇ・・・。

暑いの苦手なので,本郷三丁目駅コースに切り替える手もあるが,水道橋駅コースは通学途中が何だか都会チック(!?)で,歩くのもけっこう楽しく,なかなか捨てがたいところもある。

まあ,気分次第というところだろうか。

平成29年度 東京都公立学校スクールカウンセラーの募集案内にアクセスがけっこうあるようだ。

確かにそろそろその季節ではあるだろう。

だいたい6月のどこかの金曜日に発表になっている感じだろうか(書類提出は8月1日から8月31日の間がお約束)。

興味がある人は,毎週金曜日に東京都教育委員会のホームページを見てみると良いだろう。

私も10年ぶりくらいに「新人」として公募に参加し,たぶんこれまた10年ぶりくらいに都庁で面接を受けることになると思われる。

今年は,M1で色々読めない部分があったので,「一端」降りた感じだったのだ。


なるほど,上谷先生も本を出版されたみたいですね。

保健指導・・・。

なるほど,その分野はまだ「アドラー流」が出てなかった感じですね。

私も買って読んでみようと思います。

上谷先生といえば,アドラー心理学に基づく恋愛講座(結婚講座!?)を企画発案されていて,講座も完成していたような記憶があるのですが,あれも動き出しているみたいですね。

考えてみると,上谷先生はお医者さんなわけで,場所が場所なら我々心理職の「上司」にあたり,恐れ多い方なんですね(^_^;)。

なった。

研修講師である。

実は大学の非常勤を引き受けて3年やったのは,こういう稀にしかない研修講師の練習になると思ったからである(後はアンケート調査をやるときの「肩書」用だ)。

いかんせん研修は年に1回あるかないかなので,練習が難しい状況だったのだ。

大学の非常勤をやったおかげで3年間で90回は「人前で話す」ということができたので,これはこれで目標は達成できたかなと。

まあ,研修は大学と違って「私語対策」をしなくても良いのが,楽なところではあるのかもしれないが(私は3年間でとうとう「私語対策」で授業評価の大学平均を超えることができなかった)。

年度当初は,何やら昇進の季節でもあるのか,「うはははは」みたいに調子に乗ってしまう人が後を絶たないようだ。

長年生きてきた人なら解ると思うが,何かを達成したとして,何かがガラッと変わるということはないものだ。

もちろん,ガラッと変わったように感じる期間がある程度続く場合もあるだろうが,しばらくすると,それは当たり前となり,「うはははは」のテンションも下がってしまうことだろう。

全ては幻影と心得ておくことは備えとして良いものかと(「黒歴史」防止にもなるかと)。

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これはそうかもなぁ。

オラってる輩というのは,たぶん,視野狭窄なのだと思われる。

これは幸せ幸せと連呼する輩もまたそうなのではないかと。

まあ,視野狭窄にしろ,自信・幸せと,ある意味で「才能」であるとは言えるが,あまりなりたい対象ではないな。

何だか迷いの季節に入っているような人を見かけることもある。

まあ,視野狭窄によるキラキラエントリだけをアップする人よりは人間味があって良いのだが,ご本人的にはツラいところだろう。

いったんこれと決めても,意味を感じなくなったり,飽きてきたりなどで,その流れに居づらくなってくるのだろう。

やむを得ないことだ。

どういう動きになっていくのか,見届けていきたいと思う。

これは・・・。

あの(1),(2),(3)領域のどれにでも換算できる便利な会が東京で開催ということですね。

子育て講座が京都だったので,さてどうしたものかと思っていましたが,待ったかいがありました。

定員1800名で,オーバーしたら抽選だそうです。

いや〜,去年,1年で14ポイント稼いだものの,まだ1領域が埋まってなかったので,とりあえず抽選に参戦してみようと思います。

さっそくハガキに記入ですね。

小中学生の15人に1人と言われる「発達障害」。これまで、主に社会性やコミュニケーションに問題がある障害として知られてきたが、最新の脳科学研究や当事者への聞き取りにより、生まれつき、独特の「世界の見え方・聞こえ方」をしているケースが多いことがわかってきた。多くの人にとっては何でもない日常空間が、耐えられないほどまぶしく見えたり、小さな物音が大音量に聞こえてパニックになったり。その独特の感覚・認知が、実は、社会不適応につながる原因のひとつになっていたのだ。
この世界を解き明かし、周囲が理解することで、発達障害の当事者の生きづらさは軽減。さらに「新たな能力」を引き出すことにもつながると、世界の教育・ビジネスの現場が注目している。
身体障害と違い、「見えにくい障害」と言われる発達障害。番組では、当事者の感覚・認知の世界を映像化。これまで誰にも言えなかった、わかってもらえなかった当事者の思いを生放送で発信する。周囲から「空気が読めない、つきあいづらい人」などと誤解されてきた行動の裏にある「本当の理由」を知ったとき、あなたの常識が大きく変わる。

NHKスペシャル

らしいのですが,これは私も見ないとですね。

録画しておけば教材になりそうなところは動画にできますね。

明日は学園祭ということで今日の午後は休講。

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普段にない感じとしては,花壇(!?)の周りにロープが張ってあるところだっただろうか。


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あのハッピを着ている人たちは,どうもスタッフらしい。


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これはステージの設営なのだろうか。


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個人的には,またもや生協でレモンケーキが売ってなかったことにショックだった。

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